プロフィール
名前:高波信幸(たかなみのぶゆき)
生年月日:1969年2月23日生まれ
出身地:生まれてから高校卒業まで神奈川県高座郡寒川町に住んでました。
現住所:大学が千葉だったので、習志野市で一人暮らし以来、就職を機に
神奈川県茅ヶ崎市に移り住み、結婚後も引っ越し等もありましたが茅ヶ崎市の海側に住んでます。
私は生まれた時から2代目経営者になる運命でした。
父が会社を創業したのは昭和35年、私が生まれたのは昭和44年。
私が満1歳を迎えて間もなく会社は満10歳を迎えました。
物心つく頃には、父も祖母も「お前はこの会社の跡を継ぐんだから」と事ある毎に私に言い続け、刷り込んでいました。
経産省のデータによると今の時代起業して3年続く会社は50%、5年続く会社は40%、10年続く会社は26%だそうです。ただ、日経ビジネスに掲載されていた別の指標ではベンチャー企業の5年後生存率は15%、10年後生存率は6.3%なんていうデータもあります。
父は昔よく私に「金のなる木はくれてやる。その代り今ある金は俺が全部使う。」そう言ってました。創業当時は3人で始めた会社だと言ってましたが、私が入社する頃にはピークを迎え、パートを含めると50人に届く規模になっていました。
私が入社した時、私は当然社歴では一番短い、ただ単に社長の息子というだけで何の実績もない若造でした。当然誰も私の話しなど聞きもしません。今まで通りの仕事の仕方を続け、それに何の疑問も持たない。
うちの会社には、私が生まれる前から勤めている従業員もいました。私の赤ん坊の頃から知っているので、当然のように自分の子供と同じように子供扱いです。
そんな状況をどう乗り越えていったか。
私がただの跡取り経営者でいいと考えていたのであれば、多分それでも良かったのでしょう。
でも私はそうはしなかった。
誰もが認めざるを得ない実績をもって改革し、信頼を勝ち取っていったのです。
途中バブルがはじけ、リーマンショックがあり、様々な荒波に揉まれながらも今年創業60周年を過ぎ確かにまだ会社は存続しています。
マーケティングの考え方の中にプロダクトライフサイクルというものがあります。商品が市場に投入されてから徐々に売れなくなって、最終的に販売されなくなるまでの過程のことを示すものなのですが、これに当てはめてみた場合父の会社は私が入社する頃には明らかに成熟期の後半に差し掛かっている状態だったと思います。つまり徐々に商品が売れなくなってくる状態です。
父は経営者としてマーケティングについては全く知らなかったと思いますが、彼の経営をマーケティングの視点で見てみると、確かに60年会社を続けることが出来た、成長させ続けた秘訣がきちんとあることが分かりました。
そんな会社を引き継いだ、また、途中自分でも起業し新しい会社を興した。その経験と知識を余すところなくお伝えし、これから経営者を目指す方々には是非ゆるぎない自信を持った事業家になって欲しい、その為に役立つ有益な情報を発信していきたいと思います。
学歴:日本大学藤沢高等学校卒業
日本大学生産工学部建築工学科卒業(最終学歴)
取得資格:一級建築士、一級建築施工管理技士、浄化槽設備士、下水道管理技術認定(管路施設)、
高圧ガス製造保安責任者(乙種化学)、危険物取扱者免状(乙種4類)、車両系建設機械運転技能講習
建築物環境衛生管理技術者、貯水槽清掃作業監督者、建築物排水管清掃作業監督者、清掃作業監督者
運行管理者、防犯設備士
※国家資格、民間資格を含め、これらは仕事上必要な資格を順次必要に応じて取得したものです。
(その他)一級小型船舶免許、自動二輪(中型)免許、スキューバダイビング、恋愛コンサルタント
個性心理学インストラクター、レイキティーチャー、アクティブダイエットインストラクター
経歴:日本大学生産工学部建築工学科卒業後平成3年4月エス・バイ・エル株式会社入社 設計士として勤務
平成9年6月結婚を機に退社の後父の経営する有限会社寒川公衆衛生社に入社、取締役として就任
平成18年11月代表取締役として2人代表体制になる
平成20年11月別事業としてCurves大船オープン
平成22年 神奈川県生活水保全協会理事就任
平成23年4月株式会社HIGHWAVEとして法人化
平成24年8月有限会社寒川公衆衛生社社長就任、名実ともに代表取締役となる
平成25年全陽倶楽部理事就任
平成25年7月寒川ロータリークラブ入会